ツイッター界隈でしばしば見かける「パクろう」という言葉に違和感を覚える
「ページ上位にある人気ブログはどんどんパクろう」
とか、
「パクるのは当然だし、パクられる記事を書いていこう」
みたいなパクる事、パクられる事を礼讚するツイートを見かけます。
そういったツイートに感銘を受ける人はブログの骨子が分からなかったり、PVや収益に自分の努力が反映されていなかったりしてるのでしょう。
- 努力の方向性が間違っているかもしれない
- キーワードの選定やSEO施策がうまく行かない
- 単純に書くネタが思い浮かばない
そんな理由からパクり推奨ツイートに刺激されてしまうかもしれません。
でもその「パクる」「盗む」という言葉選びに僕はいつも引っ掛かりを覚えます。
そもそも他人の記事を盗むのは根本的によくないですからね。
単純に言葉選びを間違ってるだけかも知れないし、僕みたいに些事にこだわる人を釣り上げてるだけかも知れませんが思いの丈をつづっていこうと思います。
他の記事に影響を受けるのは当たり前
まず前提として知識を取り込んだり、根本的なブログの書き方なんかは他の記事や、あるいは参考書、論文を参考にするのは当たり前です。
絵や漫画、音楽だって他の作品に影響を受けたり、似通っていたりって事はあります。
ブログでも自分が書きたい事がうまくまとめられず、自分の言いたい事をキレイにまとめて読みやすい記事があったらマネをするのは上達にも必須かもしれません。
でもマネをするときにその記事に対して尊敬や愛はありますか?
ブログを書きはじめたら記事執筆の大変さが分かると思う
ブログを書いているとうまい書き方が見つからなくて苦しむことがよくあります。
そんな不安を抱えながら何時間もうんうんうなりながら執筆を続けて公開してるはずです。
そしてそれだけ時間と頭を使ったのにライバルの記事は要点がスッキリして頭に入りやすい。
そこで自分の記事とライバルの記事を見比べていいところを取り入れようとします。
ですがそのときに、
そのライバル記事も自分と同じように苦しんで、何回もリライトしてる事に考えが行っていますか?
自分が悩んで苦しんだのと同じようにライバルも苦しみながら執筆しています。
「パクる」と似ているけど全然違う言葉
パクるという言葉に僕が持つイメージは
表面だけ真似をしたり、ごっそり言葉をコピーして文末だったり言い方を変えるだけでオリジナルの記事を装う
ことだと思っています。
同じように他人のものに影響を受けたものを表現する言葉に
インスパイア
オマージュ
パロディ
なんかがあります。
どれも他の物に影響を受けて自分の作品に取り入れる事を言っていますが、「パクる」事と決定的に違うのは、
自分の中に一度取り入れて、自分の形で表現している
事です。
「パクり」は表面をなでているだけで自分の中に取り入れる行程を省いている。
「文章が一致しなければ似ていようがパクリじゃない」
と言われていますが、影響を受けた記事は一度自分の中にインプットされて、自分の記事と違う点を悩んでアウトプットできていますか?
と、検索の1ページ目に似たような記事
が並ぶのを見ると常々思ってしまいます。
まとめ
と、要領を得ない事をつらつらと書きましたが、言いたいことは
表面だけ真似するパクりはいけないよ
って事です。影響力のあるような方のおっしゃる「パクる」はインプットとアウトプットをしっかりしようって言っているので言葉通りのパクるとは意味合いが違うと思います。
自分の記事と同じくらい参照記事も対等な目で見てみませんか?